3月

3月となりました。東日本大震災から1年という節目の月でもあります。被災された方々にとってのこの1年とは、長かったのか、短かったのか、どちらでもない感覚なのか、私の想像できるものではありませんが、私も自分自身の問題として、この大震災および原発の問題について考えてまいりたいと思います。

   

昨日は門信徒会例会でお取り次ぎさせていただきました。

浄土和讃の勢至讃ですが、かげのように一瞬たりとも離れることなく、また休むことなく、この私に弥陀の本願に出遇ってくれよと働き続けてくださっているのが勢至菩薩であり、親鸞聖人はそのおはたらきを師である法然聖人の内に見ていかれました。いや、親鸞聖人にとっては法然聖人というお方はまさに勢至菩薩ご自身であると仰いでいかれたのでしょう。

 

この私がお念仏のみ教えに出遇わせていただいたのは、すなわちこの私の口から南無阿弥陀仏と出てくださるのは、私のはからいを超えた、私の理解を超えたまさに不可思議なはたらきによるものであり、今なおずっとこの私にはたらき続けてくださっているのだと、あらためてお聞かせいただいたことであります。