怒涛の六日間

盛り上がった流しそうめん
盛り上がった流しそうめん

前回のブログを書いてから、怒涛の6日間が終わりました。

2泊3日の「夏の子ども会in築地本願寺」では、福島をはじめとする東北の子どもたちと東京近郊の子どもたち、総勢64名と楽しい時間を過ごしました。毎年、大はしゃぎしすぎてこちらの言うこともなかなか通らないことが多かったのですが、今年はみんな静かにするところは静かになり、進行係の私としてはとてもやりやすかったです。この子ども会は、震災支援で始まったものです。被災地の子供たちを招待しておりますので、門信徒の子どもたちという訳ではありません。中には、いままで一回もお念仏を称えたことがない子どももいます。しかし2泊3日の中で、子どもたちは素直に仏さまのお話しを聞いて、最後には大きな声で「なんまんだぶつ」とお称えしてくれます。子どもたちの素直な心に、自らを省みるばかりです。。。

 

楽しい時間ではありますが、やはりスタッフとして2泊3日フルタイムはなかなかきついものがあります。。。しかし帰ってきた翌日から、今度は教覚寺少年会の合宿が始まります。全部で18名の参加でした(そのうちお泊まりは8名)。毎月の例会ではなかなかできないことを、この合宿では毎年行っています。合掌礼拝やお焼香の作法など基本的なことから、食事の言葉や三つのやくそくを覚えたり、それらをテストします。特に合掌礼拝は一番の基本ですのでみっちりやるのですが、最後には本当に美しい姿勢で、また大きな声で「なんまんだぶつ」とお念仏する子どもたちを見、先の築地本願寺での子どもたちの姿と重なりつつ、またまた自らを省みるばかりです。。。

 

2日目は平和の集いと流しそうめんの参加です。私を含め今の子どもたちは戦争といっても、なかなかイメージできないかもしれません。しかし戦争というのは決して過去のものではなく、今現在も勃発しているものであり、いつ新たに起こるかもわからない、そういうものです。だからこそ、過去の過ちに学び、再び繰り返さないよう不断の努力が必要になります。夏の僧侶研修会のご講師が仰っていたことですが、人類の歴史を見ると、戦争を行っていたか、もしくは次の戦争の準備をしていた、これが人間の歴史であるということでした。人間同士を殺し合う、しかもそれがそのグループ内では正当化されてしまう、そんな戦争を繰り返してきた人間の愚かさをまず自覚するところに、出発点があるように思います。過去の人たちが愚かだったということではなく、私自身もまたそういう愚かさを持った存在であるという自覚が大切でありましょう。子どもたちも戦争の体験話から何か感じとってくれたら嬉しいです。流しそうめんは、長男の幼稚園仲間も加わり、大変賑やかに行われました。子どもたちの笑顔が素敵で、それを見つめるおじさま・おばさまの笑顔もまた素敵でした。本当に多くの方々のご尽力のおかげで、こういうイベントが行えます。心より感謝申し上げます。

 

その少年会合宿の翌日、つまり昨日は門信徒初級講座でした。私も数年前から第1講と第3講を担当させていただいておりますが、なかなかうまく説明できず、落ち込んでおりますが、参加者の皆様は熱心に聞いて下さるので、そんな姿に励まされます。気は早いですが、来年も頑張りたいと思います。

 

以上怒涛の6日間でしたが、同時に得るものも多い6日間だったような気がします。