日本語の授業で

昨日は、富士市のブラジル人学校エスコーラフジの勤務日でした。

 

昨日は特別な来客などもなくいつものように日本語の授業を行いましたが、あるクラスで「~することができます」という文型の練習をしていた時のことです。

 

初めは「日本語を話すことができます。」など、いわゆる教科書に書いてあるような答えだったのですが、だんだんと子どもたちの中で盛り上がってまいりまして、「食べることができます」とか、「息をすることができます」など、「当たり前じゃん」というつっこみが入るような文を次々に発言していました。教科書通りということになると、自分の特技等(ピアノを弾くことができます、一輪車に乗ることができます等)を発表するのが一般的かもしれませんが、多少生徒の方はふざけている感じも見受けられましたが、面白いと思って、そのまま言い続けてもらいました。「歩くことができます」や「走ることができます」、「寝ることができます」、「手をあげることができます」などなど、普段気にもかけずにしている行為がずらりと並びました。しかしよくよく考えてみますと、これらはすべて当たり前ではないのであります。普段意識していませんが、私は呼吸をし、いのちをいただき、適度な睡眠をとり、そういうことが「できる」おかげで、こうして生かされているんだよなぁと、あらためて感じさせていただいたことでした。だから子どもたちの発言は、全て大正解だったんですね。当然人それぞれ「できないこと」も沢山あるわけですが、そこに目を向けることよりも「できること」に感謝しつつ生きていけたら素敵だなと思ったことでした。もちろん私が「できること」を一つ一つ挙げていったらきりがないし、また私自身で全てを把握することもできません。まさに私の理解を超えた不可思議なはたらきによって支えられ、生かされているいのちでありました。

 

大切なことを子どもたちから教わった、昨日の授業でした。